自尊心と挑戦

かの詩人は言った。「おれの中にある臆病な自尊心と尊大な羞恥心こそが、おれの姿をとらに変えたのだ。」と。

理屈が通るならば、さしずめ自分はきつねにでも変化させられよう。

 

周りからの評価って良くも悪くも及ぼす力が大きくて、褒められれば嬉しいけどプレッシャーにもなるし、ダメ出しされれば落ち込むけど自分を変えるきっかけにもできる。

一番ダメなのが双方からメリットとデメリットを抽出できないこと、ポジティヴシンキングってやつ、俺は苦手だけど。良い事と悪い事は均等だから良い事の裏には悪い事があるし、その逆も然り。幸福と不幸の量は同じ。美樹さやかもそんな事を言っていた

 

 

自分はかなり臆病だ。人から一度高い評価を受けてしまうと、失敗した後に落胆されるのが怖くて失敗するようなリスクを払ったことができなくなる。

小さな子供が奇跡的に一度逆上がりができたとき、周りにそそのかされても「いや、今日はもう疲れたからまた今度。」みたく2回目に失敗して「まぐれだったのかよー!」と落胆されるのを無意識に避けるような行動と同じ。

かっこいいまま、すごい人!のままの認識を持たれていたい。それを保持していたい気持ちがあるからなのだ。

 

根性論はあまり好きではないが、失敗しても失敗しても立ち上がって、がむしゃらに挑み続けるやつがかっこいいんだよ!!と太陽の男修造が言いそうな理論もわからなくはない。

けどやっぱり、筋の通った理屈のほうが自分にはしっくり来る。何もかもわからぬまま無我夢中になっても燃焼したときの喪失感がたまらなく無様だと思うからだ。

 

脱線したな、話を戻そう。

なんというか、人に「絶対できるよ!」「余裕でできると思うよ!」「普通に行けるっしょ」みたいな言葉をもらうといよいよ行動できなくなる。できるって思われたままでいたい自尊心が悪さする。

 

あーこれ、できないと失望されちゃうーーって、完全に持ち上げられて浮足立ってるだけなんだけれども、いっそめちゃくちゃに貶してくれ!って思うこともある。それはそれで心が折れるからめんどくさい性分してるな俺は。

 

 

結局みんなどこかで腹くくって恥晒す覚悟で挑戦しているんだろうなと思うと凄い。 

自分に勝てる人って本当に凄いなぁなんて思いつつ時刻は深夜2時、明日の朝も遅くはない、れんり寝ます。夜は嫌いなので。

 

 

 

P.S

誰かにこれを見せることはないだろうから、日記程度に書いていく。

だから変に控えたり規制用語を使ったりもしない。誰への説明でもないんですけどね、おやすみなさい。