特にこれといった言葉を求めてるわけじゃないけれど、最近はそういったポエムに近い物をよく見るようになった。
「夢は叶う、だから努力しろ」とか
「今日を頑張れば明日はいい日になる」とか
「失恋しても、運命はあーだこーだ」とか。
本当に興味があるわけでも、その言葉を求めているわけでも共感性があるわけでもない。
でもなんでか、こんなありきたりな、それでいてどこにでも転がってそうなフレーズなのにそれらに感銘を受けて涙を滲ませながら打ち込んでいるであろうコメントを見る。
ここにいる人たちにはあって自分にはないもの、そんななにかが明らかにある気がした。
なんだろうな、俺だってもっとくだらないことで笑いたい。悲しみたい。驚きたい。
好んで物事を冷めた目で見てるわけじゃない。できないんだ。
だからきっと、話したり遊んだり、関わったりする人には「つまらないやつ」と大雑把にも思われていると思う。というよりそんなことは自分でもわかってる。
もっと子供っぽくいていいはずなのに自分の中の「なにか」がそれを許さない。
口を開いてくれない、声を出してくれない、
考えたってわかんねえや、書くのをやめます。
努力や頑張るって行為が、必ずしも良いことだとは限らない。
善行を行う際によく使われるだけであって、努力=プラスの言葉ではないんだと俺は思う。
犯罪を抹消する努力をする。これだって文法的にはなんの問題もなく努力という言葉の意味が働いてる。頑張る。もこれに同じ。
ぐっちゃぐちゃだ、今日ひどいな
だめだ、また迷走してる。自分が誰かわからなくなってる
おかしい、どうして?なんでだめだ
あぁどうしようわからないわからない誰か捕まえて
わからないですどうすればいいですかどうやっていきていけばいいですかだれなんですかかえしてもどってきてかえしてかえしてかえしてかえしてあのころのつよかったじぶんをかえしてうばわないでくるしめないでみないでこないでこれいじょうおれにちかづかないでこないでこないでやめろやめろやめろやめろくるなくるなくるなくrんあくるなくrなくんくrなくるなくrんあくるなくrんあ