冷たい風の吹く前に

いま、人生で一番地の底にいるんじゃないかと思う。

 

 

と、言うのもいくつか理由があって、ただ「つらい...むりぃ...」とか、「病んでる...死にたい」とかじゃない。

 

 

結論から言うと「何も思わない。」

 

辛いこと続き始めたころはなかなか心に来た。

けど今ではそれがない。

 

 

「辛くも」、「痛くも」、「悲しくも」ない。

 

言葉通り何も感じなくなった。

 

 

 

 

どんな嫌なことが起きても、辛いことがあっても普通に過ごしてられる。

強いて正常だったころと比べると、ご飯を食べるのと、寝るのがとてもめんどくさくなった。

 

携帯の充電が無くなって、「充電しなきゃいけないじゃん、めんどくさ...」って思うのと同じで、「おなかすいたなぁ、食べるのめんどくさいなぁ」と、「眠くなったなぁ、寝るのめんどくさいなあ」って思う。いやこれは本当に。

 

 

時間がないわけじゃない。ご飯も睡眠も時間はある。けどめんどくさい。

無気力になってるわけじゃない。スケジュールで見ればずいぶんハードなはず。

 

末期なのかなぁ?とか言いつつ、ケロッと軽視している。

生死についても何も思わない。

病みっ子特有の「死にたひ、。」とかそんなの微塵もない、生きたいという願望ももちろんない。

 

 

 

ただただなんでもいい。そう強く思う。

 

 

 

こういうのに詳しい専門家みたいな方がいましたら連絡待ってます。

終わった毎日、戻った日常。

息を止めた。

 

 

 

ふと電車の中で、息を止めてみた。

 

 

駅を出発した時点から、次の駅に到着し扉が開く瞬間まで。

 

 

外を眺めてみた。けども、景色はいつもと変わりはしなかった。

 

 

最後の十数秒は少しだけ苦しかった。

 

 

それでも扉が開くまで、息を止め続けた。

 

 

呼吸をした。

 

 

電車のドアーが開くプッシュ音とともに。

 

 

開放感はなかった。

 

 

呼吸ができてもしばらくは苦しかったのと、荒い息遣いが周りに聞こえぬか心配だった。

 

 

 

そうしてぼーっとしていたら、目的地に着いていた。

多分きっと、もうやることはないと思う。

自記

どんな不運か、このブログを見つけてしまった不幸なあなたに僕の理性があるうちに警告しておきます。

ぜったいにこのさきをよまないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は鬱病を患っています。

何をするにも、理由がないと行動できないんです。

起きるのも、歯を磨くのも、ご飯を食べるのも、人と話すのも、ゲームをするのも、お風呂に入るのも、寝るのも。

全部理由がないとできないんです。

 

起きないと学校に行けないから。歯を磨かないと汚いから。ご飯を食べないとお腹が空くから。人と話さないと浮いちゃうから。ゲームをしないと腕がなまるから。お風呂に入らないと不潔だから。寝ないと次の日眠くなるから。

 

すべてのアクションに理由がいるんです。頑張る理由、これをやる理由、やらなければならない理由。

 

 

僕が存在する理由。

 

 

 

 

僕は小さいころからネグレクトを受けていました。

 

ちいさいころはとんでもないほど悪いことをして迷惑ばかりかけていたので、そのたび殴られました。

押し倒されて包丁を向けられたこともありました。

首を絞められマンションから突き落とされそうになったこともありました。

 

 

けれどもすべて僕が悪かったんです。

 

 

 

 

毎日のご飯は夜ご飯だけ作ってくれます。

朝はもともと食べないので用意されることはなかったですが、おひるごはんも用意されることはなかったです。

 

 

ある日医師に体重の激減を指摘され、お昼ごはんも用意してほしいと頼んでからは

毎朝五百円玉を投げられるようになりました。

 

 

 

 

4年前に交際していた彼女の自宅で夕飯を振る舞ってもらったときに泣いたことがあります。

それくらい他の家庭の料理は暖かくて、美味しかったのを覚えています。

 

 

 

 

 

真っ暗の部屋のフローリングにうつ伏せると、床の冷たさすら心地よくて、また涙が出ました。

 

 

なんで生きてるんだろう。

 

 

 

ほら、また理由を探すんです。だからもう、きっと僕はだめなんです。

 

 

 

 

 

 

そうして、後悔するんです。

自分を責めるんです、周りを恨むんです。

泣くんです、叫ぶんです、暴れるんです、そして苦しむんです。

 

 

 

 

 

 

おねがいします、だれか

たすけてください。

アディクション

とにかく笑う人、ふわふわしてる人、子供のような人、不安を抱える人、

周りがよく見える人、ルールを守れない人、見えない努力をする人、面白い人、

少し苦手な人、嫌いな人、元気な人、うるさい人、静かな人、楽しい人。

 

目まぐるしく過ぎていく毎日を沢山の人が彩っていた。

 

 

 

 

 

盲目のフリして見えないようにしていた幸せのカテゴリーさえも、思い返せばこんなにも身近で、いつもそこにあるようなものだったんだな。

 

 

 

 

そんなことを今、大胆にも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな、大きさは違えど荷物を抱えている。

ある人は過去、ある人は存在意義、またある人は他の誰か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ僕は、一体何を背負えているんだろう。

 

 

 

 

 

小さな声が聞こえた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは、遂に面接試験が今週末に控えているような状況です。

 

面接のような形のものは得意なのでさほど緊張などはないと思うが、ハメ外したりするのとはまた別の話なのでそれが心配ではある。

 

いざって時程やらかしやすい。これは自分だけに限った話じゃないはず、。

 

 

 

それを終えれば晴れて自由の身だ!

 

 

 

 

 

…というわけにもいかず、かなり深刻な労働が待ち構えていると思います。

嘆いてらんないんですけどね、逃げたきゃいつでも逃げれたのに向かっていったの僕自身なのですから。

 

 

 

 

ですけどまぁ、それなりに頑張ろうと思います。

不安要素ももちろん多々ありますが、その時は思いっきり疲れちらしてどうにでもなれーってやろうと思います。

 

あぁ、最近もそんな感じだ。

 

 

 

 

 

 

もはや成り行き任せになっていると言われたら大いに否定はしないが、夏さえ終わって冬が来ればなんとかなると思っている。

 

自分自身の気持ちが落ち着くという意味で。だ。

 

 

たぶんね。

 

 

 

 

 

 

 

なんか頭痛がひどいな、流石にもう寝ようか。

 

 

なんて時間まで起きてるんだか、全然かっこよくもすごくもないぞーって声がしてら。

 

 

そんじゃおやすみなさい。

目がなくても前を見ろ

文面のみの関係でしかないのに、その相手にすら大人になれずわがままを乞うてしまう子達は大人になったら今日のことを思い出して赤面するのだろうか。

 

そんなことを思いながらYou Tubeのコメント欄に目をやる。

 

 

子供って、後々考えればどうでもいいことなのにムキになってすねたりいじけたりするよなぁって。そんなことを思った。

 

もちろん子供といえ高校生、下手すれば大学生もその対象のうちに入る。高校生なんてまさに。

自分の感情をうまくコントロールできないんだろうな、多分何か重い病気を持ってるんだろう。かわいそうに。

 

 

 

そんなことをも平気で考えるようになった。

 

 

 

 

その理屈で行くならば、俺だって重い病気を持った障がい者の一人になる。

自分の感情をコントロールできない子供なのだから、何を言われても仕方ない。

 

 

 

もし俺のことを気にかけてくれる人がいたとして、その人が察しのいい人ならすぐ気づかれるんだろうな。俺がまだ働いてること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余計な心配をしてほしくなかったのと、何かあるたびになだめられる自分に嫌気がして言い放った嘘とはいえ、我ながらめんどくさいやつだなあと思う。うん、そのとおり。

 

 

 

あとは単純に何もしない無の時間がだらける原因になるし、この時間が俺は好きじゃない。

だから結局忙しい生活に揉まれ続けるのが最適な生き方なんだと思う。

事あるごとに人にあまえんのはよかねえけどな。

 

 

 

 

 

 

 

俺には昔、「自分なんか死んだって構わない」って本気で思っていた時がある。

だからどんなに働いて疲れても平気だったし、何も感じなかった。

 

けど最近では守りたいもの、大事なものが増えすぎた。

「自分をかわいがってしまう理由」がたくさん増えた。

 

 

だからすぐに弱音を吐く、自分の身を必死に守りたいから。

でも、そんなのは駄目だって分かってる。

 

 

少しづづ、俺も大人にならなきゃな。

またあした。

特にこれといった言葉を求めてるわけじゃないけれど、最近はそういったポエムに近い物をよく見るようになった。

 

「夢は叶う、だから努力しろ」とか

 

「今日を頑張れば明日はいい日になる」とか

 

「失恋しても、運命はあーだこーだ」とか。

 

 

 

本当に興味があるわけでも、その言葉を求めているわけでも共感性があるわけでもない。

でもなんでか、こんなありきたりな、それでいてどこにでも転がってそうなフレーズなのにそれらに感銘を受けて涙を滲ませながら打ち込んでいるであろうコメントを見る。

 

 

 

ここにいる人たちにはあって自分にはないもの、そんななにかが明らかにある気がした。

 

 

 

 

 

なんだろうな、俺だってもっとくだらないことで笑いたい。悲しみたい。驚きたい。

好んで物事を冷めた目で見てるわけじゃない。できないんだ。

 

だからきっと、話したり遊んだり、関わったりする人には「つまらないやつ」と大雑把にも思われていると思う。というよりそんなことは自分でもわかってる。

 

 

もっと子供っぽくいていいはずなのに自分の中の「なにか」がそれを許さない。

口を開いてくれない、声を出してくれない、

 

 

 

 

 

考えたってわかんねえや、書くのをやめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力や頑張るって行為が、必ずしも良いことだとは限らない。

 

 

善行を行う際によく使われるだけであって、努力=プラスの言葉ではないんだと俺は思う。

 

犯罪を抹消する努力をする。これだって文法的にはなんの問題もなく努力という言葉の意味が働いてる。頑張る。もこれに同じ。

 

 

 

ぐっちゃぐちゃだ、今日ひどいな

 

 

 

 

 

 

 

 

だめだ、また迷走してる。自分が誰かわからなくなってる

おかしい、どうして?なんでだめだ

 

 

あぁどうしようわからないわからない誰か捕まえて

わからないですどうすればいいですかどうやっていきていけばいいですかだれなんですかかえしてもどってきてかえしてかえしてかえしてかえしてあのころのつよかったじぶんをかえしてうばわないでくるしめないでみないでこないでこれいじょうおれにちかづかないでこないでこないでやめろやめろやめろやめろくるなくるなくるなくrんあくるなくrなくんくrなくるなくrんあくるなくrんあ